紀子さんは2011年2月のニュージーランド地震で亡くなられてしまいました。世界で見聞をひろげ、医療を身につけ、仕上げの医療英語習得途中の悲報でした。(こちらをクリック!どうぞもう少し詳細を知ってください)
在りし日の紀子さん
「毎日新聞社提供」
"いつも心に太陽を" AKBSH.org
“Always Keep Burning Something in our Hearts”
AKBSH.orgは世界への医療援助を志していた紀子さんの夢をひきつごうと2015年につくりました。紀子さんと私は青年海外協力隊(JOCV)の平成5年度1次隊の同期です。彼女とは訓練時代、同室でよく一緒に食事もしました。彼女の死を知ったとき、何かしなければと思いました。それでAKBSH.orgをつくったのです。目指したのは企業からの国際援助の輪のコーディネーターでした。企業に金銭面だけでなく、それぞれの得意な業種・物品での援助をお願いし、コーディネイトできればと願っていました。国際平和の新しい仕組みづくりを目指していました。2015年当時はAKB48の活動が目立っていました。秋葉、黄葉、仮名手本、忠臣蔵47(48)士という連想が生まれ、亡くなった方の無念をはらす、願いをかなえるところが、紀子さんの夢をひきつぐ団体名にあっていると思いました。覚えてもらいやすいとも思いました。“Always Keep Burning Something in our Hearts” 英語の苦手な私の作なので、ちょっと強引かもしれませんが語呂合わせもあり「AKBSH」としました。
しかし、現実は厳しかったです。賛同者を募ることも、運営資金の調達も難題でした。NGO団体として活動を目指しましたが、一組の親子のご賛同を得られこそすれ、その体を成しえませんでした。そのためホームページも閉鎖しました。現在は唯一のメンバーである私が「国境なき医師団」のサポーターとなりました。